「Making Of `Nature Shock in Hawaii` Vol.3」<
日本とハワイのために
朝からうす曇の東京。
その日、那須シズノさんが、日本でのライブを行うために来日しました。
彼女が関西へ向かう前に、5月のライブの打ち合わせを行うことになり、午後4時に池袋のホテルで待ち合わせとなりました。
1時過ぎ、シズノさんから成田空港到着と電話。
二人の40数年ぶりの「再会」は、数時間後に迫っていました。
出来上がっていたチラシなどを用意し、さて、スタジオを出発をしましょうという2時半過ぎ。
ミシ、ミシっと不気味な音と体験したことの無いような強い揺れが始まりました。
甚大な被害と犠牲者、今も続く悲しみと苦しみを生んだ「東日本大震災」。
日本が、世界が変わってしまった日。
私たちは、DVDやCDが散乱するスタジオの窓から、呆然と、不気味なグレーの空を見上げていました。
その後のいきさつは、それぞれの方たちが体験していたことと同様に、私の記憶にも深く刻まれました。
家族や友人と連絡が取れないもどかしさ。
入ってこない情報へのいらだち。
続く大きな余震。
混乱の当日、シズノさんから、一度だけら電話が入り、無事は確認できました。
ところが、その後はまったく連絡が取れないまま、数日が過ぎました。
後でわかったことですが、彼女は東京へ向かうリムジンバスの中で震災に遭い、
箱崎ターミナルに海外から来た乗客が集められ、体育館のような場所で一夜を明かしたそうです。
結局、彼女はその後、不安を抱えながら関西へ。
ところが、震災の影響でイベントはことごとくキャンセルになり、彼女は予定を変更してハワイへ帰りました。
Joe氏とシズノさんの40数年ぶりの再会は、震災のためにかなわず。
ハワイへと持ち越されました。
ハワイからは、地震直後からお見舞いと気遣うメッセージが寄せられました。
実は、ハワイ島のKONAという町も、同じ地震を原因とする津波で被害を受けていました。
以下のYou Tube動画は、実際に津波がKonaの街を襲ったときのものです。
Alii Driveという町のメインストリートが冠水し、沢山のホテルやお店がしばらくの休業を余儀なくされました。
Hilo側でも、地震直後に避難勧告が出て、海沿いに住む友人たちは、車に貴重品を積んで着の身着のまま高台へ逃げたそうです。
そんなこともあって、今回の日本の震災は、ハワイの人たちにとっても、人ごとではありませんでした。
「KOKUA FOR JAPAN!」と題して、様々な機関でのハワイでの募金活動は、すぐに始まりました。
でも、チャリティやボランティア活動は、災害から時間がたてばたつほど忘れられてしまいがち。
そして被災地から距離がはなれれば、離れるほど、同じように風化してしまう。
継続してゆくのが難しいもの。しかしながら、今回は違います。
「原発」
「メルトダウン」
「制御不能」
「汚染水が海へ」
日本だけでなく、世界中に大きな影響をもたらして、今もなお、日々私たちは被爆におびえているわけです。
その心配は、海外でも同様。
ハワイ島でも、福島原発由来の放射性物質が牛のミルクから検出されるなど、日本とはレベルの差はあれ、危険にさらされている。
でも、イベント準備のやり取りのメールの中では、必ずといっていいほど、気遣いの暖かい言葉が聞かれました。
世界の大気と海を汚している原発の事故。
本当なら非難されるべき立場であるかもしれないのに、毎日、応援してもらっている。
きっと、お互い勇気と希望を与え合える。
「このライブイベントを成功させるためには、どんな協力も惜しみません。」
力強い言葉をもらい、前進することを決めました。
ウエッブサイトやチケットも完成。
長年の親友である、Randy、カフェ100のオーナーのGail、ツアー会社のMaikai Ohana Toursの協力もあり、チケット販売の準備もできました。
あとは現地での最終手配とリハーサル、そして本番へ。
様々なトラブルへの挑戦、そしてこれからの日本への不安。ライブイベントの成功への意気込み。
複雑な思いを抱えたまま、4月21日(木)ハワイへ向かう飛行機に乗り込みました。
Vol.4へ続く
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Vol. 4 。。。予告
ハワイ島到着。
青空と青い海。
甘い花の香りを運ぶ、Trade Winds~貿易風。
さて、Joe Okuda氏の録音と撮影活動、開始です!
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